人類補完計画

エヴァンゲリオンですね。エヴァのラストを飾る人類補完計画のコンセプトを現代風に意訳すると、「個人としての人間は誰もが心の闇を持っていてそれに苦しんでいる。心の闇を癒すには他者とのコミュニケーションが必要である。その理由は、人間は必ず他者との相対によって自分自身を認知するからである。十分条件ではなく、必要条件として他者の介在が自身の心の闇を癒す手段となる。人類補完計画は他者との介在を助けるもので、個人が心の闇を克服することによって真に平和な人間社会が実現する。」という感じ。(もっと直訳的には、他者と自己の精神が同一化、連続化することで全てが一体化するという内容だったけど、量子状態から解除されたエネルギー体になることが人類の進化というのがよく分からないし、エネルギー化して肉体を無くすことは自己を認知できない(死ぬこと)としか思えない。ただ死ぬことと他者と同一化することが意味として違うことはもちろんだけど、それをどう表現できるものか分からない)
■case1 ぼくも配属されたころ(7月)は,何か新規事業でも起こしてやるぞなどと考えていました。はやく成果を出したい、そんな思いがあったと思います。だけど、無知のまま突っ走るのは危険だとな今は思っています。もちろん成功率の問題もありますが、それ以上に、その後がないから。新人が突っ走って、成功するにせよ、失敗するにせよ、その後はどうするのか。冷静になって考えると、今はむしろプロフェッショナルとしての基礎固めに専念すべきではないかなと思っています。それがあって始めて仕掛けることが意味を持つ。議論の分かれるところでしょうが、僕は5年くらいのゆとりはもっていいと思います。
■case2. 最近、勉強すればするほど、ほかの人との乖離が激しくなっていくのが、苦しくてたまらないです。話が通じないし、いいもの(レベルが高いもの)とそうでないものを見分けられるようになって、拒否反応が激しくなっています。この状態を超えて、物事をありのまま捉えられるようになるまでには、もうちょっと時間がかかりそう。
心の闇とはなんだろうか、ということで若いサラリーマンのブログから一部拝借。これを見ての客観的な違和感は、心の闇というより常識との乖離と言ったほうが良いが、当人からすれば仕事を通じて何かが違うという感覚をもって何か変わらなきゃとか何かを知らなきゃと思ったりしているわけで、仕事(自己成長や周りとの整合など)への意欲そのものが心の変化につながっている。その変化の結果が闇を顕在化させるとすれば心の闇とは「環境によって産み出されるもの」といえる。環境とは、社会や地域、家族、勤め先や人間関係なのだから、心の変化をドリブンする環境を無視して心を考えることはできない。心の時間性についても、環境が常に変化するものだという観点で理解できるわけだし、環境、もっとざっくりいうと他者とのコミュニケーションが心の問題に大きな影響を与えていると考えてよいのではなかろうか。
case1では、新人の頃、会社が抽象的な存在だった頃には「新規事業でも・・」という野望を持っていた彼は、「無知のまま突っ走るのは危険だと今は思っています。」という考え方に変わっている。「冷静になって・・」といっているが、現実を知って自分が無知であることを認識して、そして新規事業をやることは5年後に先送ろうとしている。case2では、「ほかの人との乖離が激しく・・」なって、優れていないものに対する「拒否反応」が激しくなっている。彼女は、他者が無力であるがゆえに無力な他者を強く拒否するようになった。他者の無力さに拒否反応を示すような成長の方向は、無力な他者によって規定されたのだ。
これらの話は、コミュニケーションの重要性を示す以外には、だから何?ということでもあるわけで、そういうファジーな人生観の人も多いと思うが、万能細胞で臓器をつくって人間の生体機能をアウトソースできそうな時代なのだから、心の仕組みももっと理解されてよいと思うのである。そしてもっと心に優しい働き方を実現したい、そんな感じ。とはいえこういう話題は、言葉で書きにくいから書こうと思ったことがなかなか書けないとも思った次第です、難しい。