応用哲学

日本企業がグローバル市場で飛躍するための武器は技術ではない感じがしている。品質工学やKAZEN、標準化などなど、技術と生産が抽象領域で理解されてきたことにより、技術は分かりやすくなりすぎている。逆に、製品は多機能化しすぎていて理解が難しくなり消費者に訴求しないから先端技術から生まれた製品がちっとも売れない。何が日本の強みなのか、もう一度考え直さなければならない時期に来ているのではないか。(それでも結局製造業で行こうとするのもまた日本だろうが)
というわけだからでもないが、最近アニメやゲームの業界をウォッチすることしばしば。すぐに思い浮かぶ日本の強みといったら、アニメ、ゲーム、通信、サプライチェーンマネジメント、関連会社システムぐらいなわけ。で、アニメというのは、哲学の応用、商用領域のように思った。ニーチェキルケゴールの本を読んで書いてあることを理解できる人は多くないだろうが、それらの思想を翻訳して世界化することで誰にでも分かる話になる。先人たちの偉大な知恵や想像に触れることは、やはりエキサイティングで面白い。そして、物語の背景を学園モノにして、思春期な主人公が出てくるなら誰でも一度は経験したことがあるような身近な感覚もある。だからして、日本のアニメをこう定義することができそうだ。「難解な知識体系を日本の現代的文脈で翻訳したもの」すなわち、応用哲学。(応用先端科学でも良いけど)
それはともかく、グローバル市場での強みになる日本アニメという観点では、それは中国、アジア市場での強みということになるだろう。これは、アニメが翻訳機能を持つという考え方からすれば、翻訳の仕方、東洋的な思考が日本と似ている中国で、日本アニメが受け入れられるというロジックが成り立つということだ。僕は中国のことは分からないので、日本アニメが中国に受け入れられるかは分からない。(最近アニメが日本と中国の掛け橋になるみたいなコラムが多いけど)ただ、日本アニメが、日本人そしてアジアの人のためのものになる可能性は少なからずあると思う。そういう強みをどう活かせるか、物理や国語よりもアニメやゲームに時間を割いてきた人の方が多いだろう若い世代なだけに、そういう可能性におもしろさを感じてしまうのである。