なぜblogを書くのか

blogはメモ帳と何が違うのか?なぜWebで他人に公開するのか?そんなところに少し触れる。
Webが「脳」と「社会」というそれぞれ個と全体の本質に関わる部分に類似した性質を持つということからはいろう。Webのネットワークはクモの巣状で、直列や並列ではない。ショートカットするようなつながりやクラスターのように閉じた部分を持っている。これは「脳」や「社会」のネットワーク形状と類似している。脳細胞をつなぐノード、家族というクラスター、それぞれが違った全く人脈をもっている。情報がネットワークをトランスし、それがあらゆる相互作用と現象を生み出しているとすれば、ネットワークの形状こそがそのネットワークを持つ全体のアイデンティティだといえる。ネットワーク形状の類似性を持つWeb、脳(個人の思考)、社会(全体としての環境)は、そのアイデンティティたる性質においても類似性があるといえる。このことはシステムとして「複雑系」と類されることもある。
この類似性ゆえに、Webの世界は「仮想世界(もう一つの現実)」へ発展するのだと考える人がいる。Web上に「仮想脳」、すなわち蓄積した知識をWebがネットワークすることで脳のような役割を果たすことになるのではないかだとか、Web上に「仮想社会」、すなわち現実のユーザーの分身たるアバターがあたかもそこに住んでいるかのように他のアバターのコミュニケーションし人脈をつくるだとか、である。勿論、本物の脳の思考をWebが置き換えることはないだろうし、仮想社会だけで生きていけるなんてことは思っていないけれど(Web上では子供作れないしね)。
前置きが長くなったが、Webとはそういうものである。そしてblogはWebにのっているからこそ意義がある。Webを構成する要素としてのblogでなければ、それはメモ帳と何もかわらない。
Webにのるblogとは何か?それは他のblogとリンクされていること、情報を分かりやすくするためのタグがついていることである。一言でいえば、コミュニケーションを拒絶しないblogということだ。あくまでWebというプラットフォームにのった一構成要素としてのblogだということである。blogに書かれるのは断片的な知識や経験である。それだけでは価値を持たない。その断片的な知識や経験が他の知識と交差することで新たな価値を生み出す。一人で新たな価値を生み出すのが難しいのは現時社会と同じだ。コミュニケーションするつもりでblogを書けば、そこには仮想世界が広がることだろう。
仮想脳や仮想社会と大きなことを書いたがWebが当たり前のものになって数年たったいま、実際には現実社会とリンクした小さなSNSコミュニティが乱立する状態がしばらく続いているだけだ。攻殻機動隊のような世界はまだこない。しかしblog(もちろんblogだけではないけど)でリンケージされたWebの世界が、マクロ的に現実世界より高いパフォーマンス(特に経済的に)を示すようになったとき、もう一つの現実は生まれ世界は新世代に遷移する。また個人においても、半永久的にファイルとして保存される断片的な知識がライフログとなって、何か新たな革新を起こすかもしれない。そういうことを思い始めている人が現れてきた。