「次世代」を定義する

今日で3年間過ごしたこの部屋ともお別れ・・少しは新しい気分になれそうな期待の前夜ということで。ちょっと気合いをいれて、最近やっと言葉になりつつある「次世代」について書いてみる。

生命の進化。太古の海中に生まれた多様な生物が、生物として「複製」を繰り返し、その過程で「変異」が生じ「多様化」していく。「多様化」したそれぞれは、自身を守るために「競争」をする。他者を退けて自らが生き残るのである。だが、その中のある種は海中から陸へと飛び出した。「なぜ陸へ?」「それは、そこに陸があるからさ。」その最初の種は、砂浜の乾いた風にあてられてすぐに干涸びてしまったのかもしれない。
「多様化」はとどまること無く進行していく。個体の新しい環境への挑戦は続く。陸への憧れは消えることは無い。だって、海の中で「食って食われる」だけの現実って、なんて意味がなくて、なんてむなしいものかと思うから。狭苦しい現実と、終わることの無い競争の中で、信じるべきはこのことである。「新しい世界にはきっと自由と幸福があるに違いない。」
陸に適応した生物であるが、その進化はいつでも「多様性」を伴っている。自分と違う他者と、信頼と裏切りをかわし合いながら、結局は「競争」の世界が待っている。ある日突然、「競争」のルールが変わることもあった。それでも、新しいルールでの競争を勝ち抜く「勝者」がどの時代にもいたから、生物は生物として今も地球上に存在している。これが「持続性」である。
「陸から空へ」。「空から宇宙へ」。新しい環境へ挑戦せずにはおれない生物の性を「多様性」という言葉だけで片付けることは困難だとしても、失敗と成功の繰り返しの結果がこの世界であることは事実だ。現に僕らは「宇宙」に魅入られている。「宇宙」には何があるというのだろう?空気だって熱だって無い世界に何を求めるのか。「それは宇宙があるから」である。そこにあるものを見過ごすことなんて出来ない。それに、もし人類が何度挑戦しても宇宙を住処にできないなら、そこで人類の歴史は終わってしまうような気もするから。
少し話しが広がりすぎたが、進化のあり方はきっと過去現在未来で不変ではないかと思う。さて、進化のため、また持続性のための欲求に「革新」と「保存」の2つがある。それぞれは”どんどん高く積み上げる”のと”土台をしっかり固める”という役割があるが、その役割がしっかり機能するためには「情報のネットワーク」が必要になる。「情報のネットワーク」は「革新」的な誰かが何事かに失敗したら、何故失敗したかを全体にフィードバックする役割を果たす「保存」が第一義の機能だが、「情報ネットワーク」の機能があるからこそ「革新」にチャレンジしたいものがでてくると考えればどちらとっても重要だ。
しかし、こういうこともある。「情報のネットワーク」の高度化を目指して、システムのプロセス「how」にとらわれ、システムの内側にこもった「保存」ばかりに力が向けられて結局何も新しいものを生み出せていないこと。日本の大企業病のことだけれど、やはり今一度、今何が必要かを考えなければならないのだ。「革新」と「保存」について。そして、「全体にとって何が大事か」を。
「革新」と「保存」は、「破壊主義」と「懐古主義」の対立のようでもある。今が幸せならそれを「保存」しておきたい

マズローの段階欲求説で至高体験に位置づけられる”自己実現過程”。「自分で自分の幸福を設計する」ことにより最高級の充足を得られる。純粋すぎる感はあるがそれが正しいことであるという思いはある。自分というものは自分のみが理解し認識できる存在であると考えるのなら。